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優しい時間

はっきりしない天気が続いていた。
お婆さんは、ドアに貼りつけられた営業時間を見て、はにかんだ。
ドアを開けると、マスターはギョッとした顔で振り返り、手にしていた掃除道具を置いた。
夕掃除の時間だったのかもしれない。
少し悪い時間に来たかもしれないと思いながらも、お婆さんはレモンティーを頼んだ。
猫を、隣の席に隠すように置いた。
少し懐かしい曲が流れていた。たしか Leyona の『travellin'man』だっただろうか……。
手さげ鞄から本を取り出して、開いた。
やさしい本だった。
字は大きく、ひらがなが多く、難しいことは何一つ書いていなかったけれど、本を読む間というものお婆さんはいつも少し難しい顔をしている。

レモンを浮かべると、口をカップに近づけた。
けれども、取っ手を掴むお婆さんの指はぶるぶると震えてしまう。
どうしたことだろうか、酒が切れて震えてしまうというわけでもなく、店内は少しは寒かったけれど震えるほどではない。
確かめるように、自分の手の平を見る。
親指を、人差し指をぴょんぴょんと動かしてみた。
猫に向かってジャンケンもしてみたけれど、猫はただ眠っているだけだった。
それからもう一度、カップを見て、取っ手の位置が異様に低いことに気がついた。
きっとそのせい違いなかった。
仕方なく、お婆さんは取っ手を無視して、両手でカップを抱え込むようにしてレモンティーを飲んだ。
そのために、いちいち本を手放さなければならなかったのだ。



いつになってもいいから……
キミは濡れながら
大きな傘を貸してくれた
もうボロボロで穴だらけで

優しいな


迷子にならないように
ミウラ折りに畳んで
くれた大きな地図
もう昔のものだったけれど

優しいな


作りすぎたからといって
真夜中3時に
ボールいっぱいの手料理を
持ってきてくれたね

優しいな


いっぱい練習できるように
とても上等な
落書き帳をくれたから
大事にとってあるんだ

優しいな


思い切り楽しんでといって
夕日に染まった
一日パスポートをくれた
とても急ぎ足で

優しいな


アンティークな玄関に
最先端の照明を
プレゼントしてくれた
とても明るくなって

優しいな


借物を返しに行ったら
もうそれはいいよと
キミは僕にまっすぐ
譲ってくれて

優しいな


優しいな




新しい客が入ってくると、店内はガラガラだというのに、人間はある程度団結した方が良いと考えているのか、意外にお婆さんの隣の席に座った。
聞き取りやすいように気をつけているためだろうか、とても大きな声で注文する。
マスターが気を利かしてテレビのスイッチを入れると、何だか急に賑やかなことになった。優しいマスターのようだ。
お婆さんは、カチカチとテーブルにタマゴをぶつけて殻をむき始めた。
さほどお腹が空いているわけではなかったけれど、せっかくあるものは食べなければもったいない。
あるいは、少しわるい気がする。
半分食べると、中は程好い色加減になっていた。
夕方のニュースは、有名人の失言とそれに対する周囲の意見、反応、その他諸々の影響についてのことだった。
芸能人は大変だね、と笑いながらマスターは色々と思いやったことを言った。

タマゴを食べ終わったお婆さんは、さてそろそろ本を再開しなければならない。
挟んでおいた栞を抜き取って読み始めるが、何行目からだったかまで思い出せないので、少し前のページまで戻ってもう一度読み進めることにした。
やさしい本なので、すらすらと読めた。
時間はゆっくり流れていって、客はついにお婆さんと眠り猫だけになったけれど、依然としてテレビはついたままだった。
活字を追いながらも、時々耳から入ってくる情報を完全に遮断することはできない。
時折ちらりちらり、顔を上げて見てしまう。
ゴールデンタイムはバラエティー番組が多いようで、半分が言葉、半分が笑い声というような世界の中では、誰が何を言っても許される雰囲気だ。
特に何をし、何を言うというわけでもないのだけれど。
ゆるい、
ゆるい感覚。
眠ったままの猫を眺めた。

その横顔は、雨さえも通してしまう傘のように優しさが滲んでいた。

それからお婆さんは、閉店時間のことを思い出した。

  「7時から疲れるまで」

確かそんな風に書いてあった。
ゆるい。
はっきりしていないことは優しいのだ。
マスターは、もう疲れただろうか……。
答えのわからない問いを、猫に吹いて、
また本を読み始めた。
やさしい本だった。








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ジャンル : 小説・文学

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『ウィキペディア』












































 

「行き先のないバスに乗って
 あてのない旅をしています」

「僕たちは心の旅をまだ
 始めたばかりなんです」



「この場所は自由な場所。
 本当に自由すぎる」
「でもまだ足りないんです」





「春の足音を、
 しばらく前に、聞きました。
 私はもうとけてゆきます」
「大いなる誤解が
 とけていく速度で…」






『落書き』

偶然たどり着いたこの場所
あなたは何を探していたのです

求めるものと目の前にあるもの
それはどれほど違っていても
みかんの色は変わるのです

あなたという存在が
あなたを囲む海や人や森が
歌い励まし騙し傷つける頃
空想の世界の中で
生まれ変わるならば
いつかそれは
求めるものと同じであったか
近づいていくこともあるのでしょう

偶然目に触れた落書きに
こんなことが書いてあるとは
思わなかったでしょう
だからそれを望んで
これを書いたのです

少し時間を
無駄にさせてしまったね






『空白の壁ときみ』

壁が空いているから
ここを詩で埋めようかな

何も書くことはないけれど
何もない時だって
詩を書いていいんだよ

何もなくても
聴きたいときがある
きみの声を

点滅するバスは
行き先を決めかねているけど
もう詩は出発したよ

年中融けない雪だるまが
上で見てるんだ
これでまた融けにくくなった

壁が空いているから
サンドイッチのない詩を
猫に内緒で書いてる

見つかると嫉妬するからね

寝静まった頃静かに書いて
きみもやっぱり静かに読む

見知らぬきみ
またここで落ち合おう

きみの空いてる時間にね






『そんな横顔』

獣のような 大声で
どこかで 叫んだケダモノ
気高さを保ったまま
毛玉を嫌う ケダモノ
そんな生き物が いるのだろうか

僕らは 
不思議な生き物を見るような目で
不思議な生き物を眺めるんだ

1000年前から生きてるみたいに
落ち着いて 慌てない
何でも知ってるような
そんな横顔で
質問には 答えることもない

それでも 僕らは
昨日生まれた ばかりのような
そんな横顔 してたんだから
不思議な生き物 眺めるような
そんな横顔 してたんだから






『片隅』

ノートの片隅に
詩を書いている
誰に見せる
あてもない

頭の片隅に
詩を留めている
未だ現れる
気配はない

カフェの片隅で
詩を書いている
誰に会う
約束もない

世界の片隅で
詩と向き合っている
そうしていると
寂しくもない






『できそこない道』

完成することのない
できそこない道を
僕は歩いている

進んでいるのか
戻っているのか
それさえわからない

それでもかえれない
できそこない道を
僕は歩いている

つまずくことばかり
挫けることばかり
たどりつくこともない

どこにもかえれない
できそこない道を
僕は歩いている






『なきうた』

理由もなく
泣きたくなるのです

二月が終わる頃になると
遥かなる距離を越えて
オレンジの光が
届いたのを知った時

理由もなく
泣きたくなるのです

小さな息吹が
青白い風の中に
溶け込む匂いを知った時

私は生まれるよりも
遥か前のことを
思い出しながら

理由もなく涙を流し
歌わねばならない
という理由において
歌うのです

遠い過去の人である
私の声が
あなたの元へ届く日を
想像したりしながら
























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