おかえりなさい
2008-05-09 Fri 17:20
お婆さんは、毎日日記を書く。
日記を書くと瞬時に100人もの人が見に来るのだ。
そしてペタペタと足跡を残していくのだ。
けれども、日記帳が真っ黒に汚れてしまったりボロボロになったりすることがないのは、足跡というのが実は人の名前だからなのだった。
名前といっても、親やお祖母さんが付けるような名前ではなく、みんなが好き勝手に付けられる。
勿論、お婆さんだって好き勝手に名前を付け、時には変更だってするのだ。
いったいどんな人が見に来ているのだろうと思って、時々足跡をたどってみる。
足跡をたどるといっても実際にてくてくと追いかけるわけではなく、瞬間的にその人の家まで行くのである。
家といっても、本当にその人が住んでいる建物ではなく、言わば架空の家なのである。
そうして足跡をたどってその人の家に遊びに行ってみるのだが、家を見ただけではどんな人かまではわからないのである。
そこで何か声でもかけてみようかと思うが、変な人と思われるかもしれないし、やっぱりやめておとなしく自分の家に帰るのだった。
家といっても、木造の家とかではなくて、お婆さんの日記のある家だ。
いずれにせよ、お婆さんは自分の家にいてその中でまた家の中にいて日記を書くのだった。
日記を書くと瞬時に100人ばかりの人が見に来るのだった。

「はーい、笑って、笑って!」

書くことに困った時は、猫の出番だ。
モデル料はたっぷりとはずむことになっている。
それが十分にわかっているので、猫も素敵なポーズを惜しまない。
ナイスショットの連続に、お婆さんの指にも思わず力が入る。
今日は、どれくらいの人が訪れか、わくわくしてくるのだった。



新しい日の始まりに
星と雲の流れ
心と頭と体の
乱れを

確かめなければ
進めない

新しい人との始まりに
どこからやって来て
好きと嫌いと
匂いと関心を

確かめなければ
落ち着けない

みんなみんなチェックマン
一通りのシートを持ってる

新しい場所での始まりに
澄んだ水と
優しい空気と
自分の居場所が

確かめなければ
生きられない

長い一日の終わりに
目を閉じて
よかったこと
わるかったこと

確かめなければ
安らげない

いつもみんながチェックマン
自分なりの基準を持ってる

最初は何も
知らなかったし
知らずにすんだ

でもいつか立ち止まり
振り返ることを
確かめることを

知ってしまった
チェックマン

項目に追われて
進み続ける




お婆さんは日記を書いた。
すると瞬時に100人の人が、日記を見に来た。
結局1時間の間に104人もの人がどこからともなく訪れたのだった。
そして今日も、静かに足跡だけを残し去って行った。
お婆さんは、どんな人が見てくれたのだろうと思って記号のような名前の足跡を一つずつたどっていった。
そうしている内に、夜はどんどん更けていき何かを見失っていくかのようだったけれど、それが何かということまではわからなかった。
ふと、少し離れたベッドの上でじっとお婆さんを見つめる生き物の視線に気がついた。
いつも、一緒にいるはずの猫だった。

その横顔は、明けない夜を知った朝顔のように寂しげだった。

そして、猫の目は静かに語りかけてくるのだった。

「お婆さん、たったひとりに届くことを夢見た頃を思い出せ。
 ようやく、誰かひとりに伝わったときの喜びを思い出せ。」

お婆さんは、しばらくじっとしたまま猫の声なき声を聴いていた。
それからモニターに向き直ると、少し照れたように笑みを浮かべた。
そして、音もなく日記を閉じた。
再び猫の方に顔を向けると、久しぶりに一首詠んだ。
猫は、静かに耳を傾けていた。



                 *


 足跡を一つ一つたどったらいつかどこにもかえれなくなる










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