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あふれる

 次々と警官があふれ出していた。
「ごくろうさまです」
 お婆さんは、労いの言葉をかけたが、現場へと急ぐ警官たちの目にお婆さんの存在は映らないようだった。これほどの警官が、あふれんばかり飛び出し続けているこの町は、恐ろしく治安がいいとお婆さんは感心した。

 スーパーでは、カラフルな野菜や果物たちがあふれながらお婆さんを待ちわびていて、私も私も私もとそれぞれの野菜たちが手を上げ声を上げ、お婆さんを誘惑するのだった。これもいいな、あれもいいな、そうねこれもこれも、あれもこれもいいね。頭の中で、ありとあらゆる季節のメニューがあふれていく。買い物カゴなんかは使わずに、エコお婆さんはそれらを直接マイバッグに詰め込んでいた。あっという間にそれはいっぱいになり、もう苦しいよ、と猫があふれ出てくるのだった。
 カラフルな野菜と果実と猫であふれたマイバッグを抱えて、お婆さんはレジにたどり着いた。
 マイバッグから、まず猫が出てバーコードをスルーし、それに野菜たちが続いた。間もなくそれは、再びマイバッグの中で合流し、猫が多くの野菜たちをしっかりとおさえつけた。
「ありがとうございました!」
 エコな買い物に、感謝の言葉が投げかけられた。



街も緑も打ち消して
窓を伝わる雨粒たち
あちらこちらと散らばりながら
逃げても逃げても追ってくる

見るべきもののなくなった
きみはいないきみを探して
雨粒になる

誰を呼ぶのか
窓を叩きつける雨粒は
もつれあいほつれあいながら
時を奏で夢と消える

寂しいきみよ
寂しいきみの友達になる

窓も消えた部屋の中で
雨はただ
静かに夢見る
きみへきみへと落ちてゆく

満たされたままのコーヒーカップ
きみはいないきみを見つけて
微笑んでいる

自然と呼ぼうか
規則を持たない水滴が
期待と回想に交じりながら
遠い町を跳ねていく

寂しいきみは
寂しいきみの友達になる

もうすぐきみはあふれてしまう

横たわったまま
抱き続けた夢の重さに
耐え切れなくなって

きみは一粒も寂しさを
独り占めすることはできない

言葉としては不確かな
雨はただ
きみへきみへと落ちてゆく

寂しいきみよ
寂しいきみの




 交番からは、相変わらず無数の警官たちがあふれ出してお婆さんたちの行く手を阻んでいた。
 これほどの警官がとめどなくあふれ出ているこの町は、恐ろしく治安が悪いに違いない。お婆さんは、先程と考えを改めた。きっと自転車に乗って逃げる泥棒を追いかけたり、サンバのリズムに乗って逃げるひったくりを追いかけたりしているのだ。

「ごくろうさまです」

 お婆さんが重々しく労いの言葉をかけると、警官たちは一斉に猫に変わった。
 ああ! お婆さんは思わず驚いて抱えているバッグを落とした。
 コロコロと猫が転がっていき、無数の警官猫の混沌の中に紛れ込んでしまうのだった。

 その横顔は、どれもこれもあふれんばかりの猫たちの中でぼやけて見えた。

 あるいは、お婆さんには見えないのだった。
 親切な通行人たちが、脱走したオレンジや熟したトマトを拾い集めてお婆さんの元へ持ってきてくれるけれど、お婆さんはそれには礼も言わずに、交番からあふれ続けている猫に見入っていた。
 なぜか、あの中から自分の猫が戻ってくるような、そんな気がして。


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テーマ : 詩・ポエム
ジャンル : 小説・文学

婆の決断、猫の機転

「何か1つ減らしますわ」

10円が足りないために、お婆さんは何か1つは手放さなければならなかった。
そういうことは、前にも何度かあったし、その時も10円足りなかったり、20円足りなかったり、3000円足りなかったりしたのだった。あるいは、1円足りないために、あきらめなければならないという時もあって、その時はよりくやしい思いがしたものだし、下の方を見ては奇跡の1枚が落ちていないかと探したものだった。奇跡は、日常の中にあふれているものだとしても、そういう時に限ってお婆さんの足下に、奇跡のきらめきが訪れることはなかった。
「何を減らしましょうか?」 店員さんは、人造人間のように親身な眼差しをカゴの中に投げかけた。もう少しすれば、涙までも落ちてくるかもしれない。お婆さんの背後には、いくつものプレッシャー団体が迫っていて、お婆さんはいよいよ決断を迫られているのだった。

「じゃあ、これを」
お婆さんは、そう言って猫の好物を指した。
「かしこまりました」 そうして店員さんは、手を伸ばした。

「じゃあ、これは僕が戻しておくとしよう」
猫は、店員さんの手からそれをかっさらった。そして、歩き出した。

「じゃあ、よろしくお願いね」
お婆さんは、猫にお願いした。店員さんも、猫の後姿に頭を下げた。

「マイバッグでお願いします!」
お婆さんが、大きな声で宣言した。
「今日は、麻婆豆腐なんですよ」



積み上げてきたものを
ひとつひとつ捨てた
捨てる度に私は傷ついた

私は私を離れて
確信のない夜を彷徨った

そうしてまでも
得たいものがあった

つながりあったものたちを
ひとりひとり私は捨てた
切れるほどに人を傷つけた

私は人を離れて
自分だけの世界を彷徨った

そうしてまでも
得たいものがあった



かき集めてきたものを
育ててきた大切なものたちを
私は捨てて捨てて捨てて捨てた

最後に私はひとり
もう何もなかった



たったひとつのこだわりのために
私は過去のすべてを踏み潰して
歩いて歩いて歩いて歩いて歩いた

それでも私の手から
宇宙が冷たく通り抜けるように
何もかもは落ちていった


けれど



たしかにあったかい

ソレイユ




お婆さんは、マイバッグにリンゴを入れた。
リンゴは、するりと落ちて転がった。
これがきっと、引力というものね……。
お婆さんは、続けて早生みかんを入れた。
すると早生みかんは、するりと落ちて転がった。
お婆さんは、続けてレモンを入れた。
するとレモンは、するりと落ちて転がった。
入れても入れても、お婆さんのマイバッグは、自動販売機のように落ちていく。
10円玉も、ポカリスエットも、いかるが牛乳も……。
何もかもが落ちていくんだね……。
お婆さんは、腰を下ろし落ちたものたちを拾いながらつぶやいた。
落ちたものは、拾わなきゃ……。
落ちたものたちの周りには、誰も近づかずレモンの香りだけが漂っていた。
お婆さんのマイバッグは、本当はマイエプロンに過ぎなかったのだ。
お婆さんは、マイエプロンの中にすべてのものたちを閉じ込めて、きつく紐を結んだ。

ようやく猫が戻ってきた。
「あんた、ちゃんと戻してくれた?」
猫は、口をもぐもぐしながらうんうんと頷いた。

その横顔は、初めてのお使いから戻ってきた羊雲のようだった。

スーパープチトマトの外は、すっかり日が落ちて、月が顔を出していた。
「だんだんと寒くなるね」
白いビニール袋が風に乗って流されてきた。
猫は、ひょいと避けてお婆さんの左側に回りこんだ。



テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

猫とペンスタンド

ペンスタンドの中には、ペンがあふれていた。
あふれながら、誰もが飛び出すことを夢見ていた。
尖ったの光ったの丸いの鋭いの長いの細いの新しいのくたびれたの、とっくに力を使い切ったペンも含めて入っていた。そして、中にはペンではないものも交じっていたが、ペン達は彼らを指して笑ったり邪魔者扱いするような真似はしなかった。ペンスタンドの中に放り込まれるからには、少なくとも自分たちと比較して何らかの類似点が認められるはずだったし、ペンスタンドの中に入ってしまえばそれが文字や色を生み出そうと生み出すまいと、同じ仲間として認めていたからである。それに加えて、ペンスタンドというものは、あまりにペンの仲間が寂しすぎる状態では往々にして安定感の不足を招き、ふとしたことで転倒してしまう危険があるということを、多くの経験から学び心得ていたのであり、それ故に輪を大事にするということは、ペンスタンドの中で暮らすペン達にとっては、染み付いた習性のようなものであった。それでいてやはり、ペンでないものはその用途もまるで異なるので、ペンの横に立っていても、ペンのライバルには決してならないため、その点ペンは安心して横に立っていられることができた。
ペンは、自分からは出て行くことはできなかったが、もしも自分が選ばれた時のことを思いながら、いつも狭い箱の中で退屈な時を凌ぎながら、自分の力を蓄え続けているのである。

「今日はどれにしようかな」

お婆さんが、筆をとる準備に入ると、みんなが一斉に立候補した。
ペンスタンドの中で、新星が生まれるようにペン達は回転し、少しでも目に付く場所を目指し移動した。
何本かは、重力に逆らって浮き上がってみせた。
はい!

「ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、ぼく、」

みんなが、一斉に声をあげるので、お婆さんの耳には一つの声も届かなかった。
お婆さんは、適当にペンを選んで、走らせ始めた。
猫は、眠っていた。



未確認飛行物体

今すぐ
私を確認して私を
引き上げて

この狭い街から
私を救って

自由をください


未確認飛行物体

今ここで
私を認めて私を
引き立てて

この狭い星から
私を救って

自由をください

どこへ逃げても
どこまで逃げても
屋根の下

見張られている


未確認飛行物体

ずっと待っている


未確認飛行物体

早く降りてきて

この狭い世界から

私を解いてください




ペンは、走り出した。
止まっていた時間、眠っていた夢を吐き出すように優雅に雄弁に迷いのない軌道を描いて、お婆さんの指を引いて走り続けた。
選ばれなかった仲間たちは、今はおとなしくなった箱の中で身を寄せ合いながら、ただその雄姿を見つめていた。
「たまたま選ばれただけ」誰かが零した。
「選ばれただけのことはあるね」それには、誰も答えなかった。
ペンは一時も休むことなく、深まる夜の中を狂ったように駆け抜けていった。
ついには、お婆さんが疲れ、机の上で眠り込んでしまった時でさえ、走り続けたのだ。
「前しか見えなくなってるね」


朝、目覚めた時、書きあがった何百枚もの原稿を見て、お婆さんは飛び上がった。
「やったー! すごい! わたしってすごい!」
お婆さんは、自分でも気がつかない内に駆け抜けた筆力に、自ら賞賛の叫びをあげた。
どうだ、すごいでしょう。賛同を求めるように、猫を見上げた。
猫は、天井にくっついたまま、眠っていた。

その横顔は、広大な夢の中を遊泳する宇宙クラゲのようだった。

机の上から、音もなくペンが転げ落ちた。
薄目を開けて、猫は見た。




オフタイマー

 熱心に耳を傾ける猫に、お婆さんは優しく昔話を読み聞かせていた。
 あれは読んだ、これはもう聞いたと猫はわがままにリクエストするものだから、お婆さんはとうとう猫のためにオリジナルの昔話を作らなければならなかったのだ。お話の意味なんてまるで理解していないような猫ではあったが、その耳はお婆さんの語りを風のオーケストラを聴くように熱心に聴いているものだから、お婆さんも心を込めないわけにはいかないのだった。
 猫は、お婆さんの優しい語りを聴きながら眠りに落ちていくことを、ちょうど一つの季節が終わるくらいまでの間好んだ。
 
 昔々、あるところに働き者の猫たちが暮らす村がありました。電器屋さんの猫は、毎日毎日、最新の最新家電を売りつけていたのでした。
 
 猫がうとうとし始めたので、お婆さんはしめしめとお話をやめた。けれども、猫は途端に飛び起きてお婆さんを責めるので、お婆さんはまたお話を続けなければならなかった。
 
 出来立ての最新家電が出来たよ! そこのお兄さん買わないかい? 今買えばお兄さんも、最新の人になれるよ。だけども、もしも買わないならば、それは一番新しいチャンスを逃したということ。そうして逃したチャンスはどんどんどんどん古びて忘れ去られてしまうのだし、その間というもの、また最新家電は次々と更新されるので最新のものは追い越され追いやられ、本当の最新家電が最新のスポットを占めるのだよ。だけども、お兄さんが今それを最新のものとして受け止めてあげれば、それは今最新であるばかりでなく、いつまでもいつまでもその形がどんなに古びたとしてもその心意気はフレッシュなのだよ、お兄さん。買わないかい? 買わないかい? これはいつでも見過ごされるチャンスの中の一つに過ぎないよ。と猫が言うと、お兄さんは、今日はアンティークな風が吹いてらぁ、と言って飛んでいきました。

 恐る恐る、お婆さんが猫の方を見ると、猫はどうやら眠っているようだった。



やめないで
私はまだ耳を
澄まして聴いている

キミの声が
聴こえなくなったら
私も消えてしまいそう

やめないで
どうか
私のためにだけ


やめないで
私はまだキミを
頼りに生きている

キミの声が
聴こえなくなったら
ひとりで消えてしまいそう

やめないで
どうか
私のためだけに


やめないで
まだやめないで

やめないで
ずっとずっと
やめないで

私が息をしている間は

ずっとずっと

歌って




 猫が休んだので、お婆さんは羽を伸ばして最新家電売り場へいざ出発した。
 これぞ最新家電だよ! そこのお婆さん買わないかい? 今若い人の間で大人気の最新家電だよ。だけども、若くない人たちにとっても、決して若くはない人たちにとっても何も差し支えないどころか、とてもありがたい品物というわけだ。人気の秘密は何よりその新しさ。こいつは魔法だよ。絵も出る音も出る魔法の箱だよ。そこの素敵なお婆さん買わないかい? と猫の店員が言うので、お婆さんは丁寧に断った。

「テレビなら、もうありますわ」

 液晶画面の中では、戦国の武将が兜に宛がう漢字の一つについてああでもないこうでもないと悩んでおり、その横にいた美しい女が紙に書かれた一つの文字を拾い上げて、これこそがあなたにふさわしい一字なのではないかと進言している様子が映し出されていて、どうやら話はその方向でまとまりかけているようだった。
 また、その横のもう一つの液晶画面の中では猫が大あくびをしている。

 その横顔は、愛くるしいものだった。

 お婆さんの欲しい最新家電は、まだ新しすぎたためか、どこにも売っていないのだった。そして、それこそが自分がまだやらなければならない答えの一つだとお婆さんは考えた。


テーマ : 詩・ポエム
ジャンル : 小説・文学

月のかけら

お婆さん、遊びましょ。
けれども、お婆さんは寡黙である。
ピンと背筋を伸ばし、すらすらとテーブルの上でペンを走らせているのだ。
今日は、お婆さんのペンがとてもよく走る。走っている時のお婆さんは大人しく、猫がちょっかいを出してもほとんど何も返してこず、ひどい時などは完全に無視されてしまうのだ。そうだ、ちょうど今日みたいに。
お婆さん、遊びましょ。
けれども、お婆さんは応えない。仕方なく、猫は走るペンを追っていく。
今日のお婆さんは、とても速い。追っても追ってもなかなか追いつけない。それでも猫は、あきらめずに走り続ける。


森の奥深く、入り込み、猫はまだ走っていた。足に絡みつく長い草が、ひんやりとして冷たかった。猫の前にはシロウサギが走っていて、猫の後ろにはワニが走っている。艶やかな月が大木の真上で丸く光っていた。もう、夜だった。
走っても走っても、ワニとの距離は縮まらない。
このままでは、ワニに捕まってしまう。なんてことだ、なんてことだ。猫は、想像を超えたワニの体力に、パニックに陥っていた。
ペンを追いかけていた猫は、いつの間にか追われる身になっていたのだ。



振り向いて
くれないなら
僕もキミと幻を
追いかけよう

窓から森へ
飛べ飛べ

どこまでも
キミと一緒

ふたりでいて
くれないなら
僕もキミの分身を
追いかけよう

森から星へ
飛べ飛べ

どこまでも
キミと一緒

寂しさのかけら
紡ぎつないで
物語の中へ

どこまでも
キミと

逃げる




「こっちだよ!」

シロウサギの声に導かれて進むと、天へと続く縄梯子が見えた。
シロウサギはぴょんぴょんと、猫はするすると縄梯子を上っていったけれど、ワニは長い顎を持て余して、二つの小さな生き物をただうっとりと見つめているだけであった。くやしさからか、あるいは寂しさからワニが縄梯子に噛み付いて食いちぎった時、もう猫の体は月の上にあった。

「本日は、満室になります」

どこまで歩いても、月の宿は満室だった。
今日は、秋だからね、とシロウサギが言った。今日だけが秋というのは、おかしな言葉だと思ったが、シロウサギのしゃべることだから多少おかしくても当たり前と思い、猫はあれこれと言うのを思いとどまった。
月の宿で、おいしいものでも食べたかったけれど……。月の大地に寝そべりながら、月のかけらを食べた。あまりおいしくはなかった。

「あまり食べないでね」
明日は満月だからね、とシロウサギが忠告する。
月の理屈はよくわからないものだ。それに、多少食べたところで、月の形が変わるわけでもあるまいし……。
猫は、気にせず食べることに決めた。今は、自分の空腹を埋めることが何より大事に思われたし、助けてもらった恩はあるけれど、何かと口うるさいのはごめんだった。
そうして、ポリポリポリポリと食べていると、月の大地は脆くも崩れ去り、猫は滑り落ちてしまうのだった。
「だから、」 
一瞬、声がした。
みるみる地球が近づいてくる。ワニが大きな口を開けて、待っているのが見えた。
同じ場所に、落ちる、なんて……。
猫は、落ちながら、回りながら、頭を抱え込んでいた。

その横顔は、ツキノワグマが投げつけた雪のように真っ白だった。



「ごはんですよ!」

ペンを止めて、お婆さんが言った。
ようやく、時間が止まった。あるいは、動き始めた。
また、何かつまみ食いしたね……。猫の口の周りに、そっと指を走らる。
それは、月のかけらだった。



テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

黒衣の猫

雨が降ったのはずいぶん前だ。
白い帽子の下で、お婆さんの顔はリンゴ飴のように光っていた。真夏の太陽が川面を真っ直ぐ見つめると、その跳ね返りさえ一向に鋭さを失わないままお婆さんの頬を射すのだった。
日が落ちるまでに、洗濯を終わらせなければならない。
けれども、少し小腹が空いてきた。
こんな時、おとぎ話だったらどんぶらこどんぶらこと何か奇妙なものが流れてくるのだし、そこから新しい命だって生まれたりもするのだけれど……。
期待することもなく、川の流れを見つめていると、どんぶらふわり、どんぶらふわり、と友が流れてきた。

「おー、友よ」
猫が、ひと泳ぎ終えて戻ってきたのだ。
ぶるぶると身震いすると、すぐにお婆さんを日よけにして眠り込んでしまった。
お婆さんは、気持ちよさそうに眠る猫の横でゴシゴシ、ザブザブと手強い洗濯物どもと格闘を続けるのだけれど、なかなか勝利の光は見えてこないのだった。

やがて、手を休めると、川の生き物と静かに闘っているおじいさんの元に歩いていった。
お婆さんがやってきた時から、彼は1ミリだって動いていなかった。

「何か釣れますか?」
おじいさんは、ふんと鼻を鳴らした。

「こんな汚い川で釣れるもんかい!」
意外な返事に、お婆さんは会話の糸口を見失った。



こんなにも
集まった山の
汚れはすべて

川の美しさで
洗い流そう

どんぶらこどんぶらこ

汚れた数だけ
生きていたんだ

こんなにも
積もった人の
汚れはすべて

水の素直さで
洗い落とそう

どんぶらこどんぶらこ

汚れた数だけ
生きていたんだ

さあ 清めよ

命の水よ




お婆さんは、山ほどの洗濯物を抱えて家に戻ってきた。
けれども、洗濯物はみんな例外なく真っ黒に染まっていた。
なぜ、あの時気がつかなかったのだろう?
洗えば洗うほど、どんどん汚れていっているという大いなる矛盾に。

きっと真夏の太陽がまぶしすぎたからだ。
お婆さんは、とりあえず自分のせいではなく、自分より遥かに大きなものに責任のバトンを投げかけてみた。
自分ばかりを責めてみても良い結果は得られないということを、経験上よく知っていたし、自分より大きなものなら、それを何事もなかったように受け止めたり、本当に何事もないかのように無視してくれるからだった。
そして、それとは反対に自分より小さいものに対しては……。
小さい、小さい、
小さな猫は、どこだ?

玄関の前で、山ほどあふれかえったポストを見つめながら、猫の不在に気づく。
はっとして洗濯かごを、手放した。
散乱した洗濯物の片隅から、ひそひそと黒い布キレたちがささやきながら集まり、盛り上がり、それはまるで生き物のようにはっきりと自分の意思を持ちながら、踊りだした。腰が抜けるほどお婆さんは驚いたけれど、やがてそれが猫だと気がつくと声を出して笑った。
猫は、洗濯物のベッドの中で良い夢をたくさん見て、もうすぐやってくる夜のように濃く染まってしまったのだ。
少し戸惑ったように、腕をペロペロと舐めはじめている。

その横顔は、夜一面に命を描くアーティストのようだった。

今日も、猫と一緒にお風呂に入らなければならない。
そして、汚れた洗濯物は、すべて洗濯機で洗い流そう。
お婆さんは、腰を屈めて、一つ一つ、
汚れた今日を拾い始める。





テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

猫の押し問答

お婆さんは走っていた。
猫をおいて、お婆さんのペンと友達になりながら、走っていた。
机の上で一心不乱に走り続けるお婆さんの横顔を、猫は見つめていた。
お婆さんは、日記を書いているのだ、と猫は睨んだ。
それは壮大な歴史日記かもしれない。猫は、お婆さんの歴史日記を上から覗きこんだ。
けれども、猫にはその内容までもは理解できなかった。

鏡の向こうに猫を見つけて、猫は問いかけた。
「おまえは誰だ?」
鏡の向こうの猫は、じっと猫の方を向いたまま重々しく言い放った。
「それはおまえが決めることだ」



私は歌う
誰でもない
私へ向けて

明日を恐れる
今日の中で

私は向かう
誰でもない
私の歌へ

いつか誰かにも
届くだろう

私の歌が
私のことのように

私は知っている
私はいつも
ひとりではないのだと

私は歌う
行方不明の
私へ向けて

途切れたままの
物語の中へ

私は向かう
誰でもない
私のために

いつか誰かが
受け止めるだろう

私の歌を
私のことのように

私は知っている
私はいつも
ひとりではないのだと

私は歌う
傷つくほどの
私へ向けて

私は歌う
失うほどの
私へ向けて

私は知っている
私はいつも
ひとりではないのだと




「おまえとは誰だ?」

猫は、すぐさま問い返した。
鏡の向こうの猫は、猫に向かってさっきと同じことを言った。

「それはおまえが決めることだ」
猫は、今度は別の猫に訊いてみることにした。
鏡の向こうの猫の隣の別の猫に向かって、同じ質問を投げかけた。
けれども、受け止めた猫は、やはり瞬時に同じ答えを返すばかりだった。

「それはおまえが決めることだ」
猫は、鏡の向こうにいる別の猫に向かって、次こそは違う答えが返ってくることを待ち望むように次々と質問を投げ続けたけれど、鏡の向こうの猫はまるで皆で申し合わせたように同じ答えを投げ返してきて、猫の顔色は次第に落胆の色を濃くしていくのだった。
散々同じ答えを聞いた後、猫は鏡の向こうの中で、ほんの一瞬猫から目を逸らした猫に気がついた。猫は、淡い期待を込めて最後の質問を投げた。
「おまえとは……」
鏡の向こうでほんの一瞬猫から目を逸らしたように見えた猫の答えは、一瞬だった。
「それはおまえが決めることだ」
突き放すように、言った。

その横顔は、世界の車窓から見た猫のように白かった。

けれども、突然お婆さんが列車を止めて言った。
「それは、私もまだわからないんだよ」
猫は、ようやく返ってきた今までと違う答えに安心して目を閉じた。
鏡の中にいた無数の猫は消え、お婆さんの横顔が現れた。





テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

時間旅行

 猫とお婆さんのくつろぎの一時の間に割り込んできたのは、見知らぬ人たちであった。
 何やら熱心に相談している。
「日当たりはなかなかなものですよ」
 白シャツに腕まくりの男は、メガネの奥で眼球を輝かせてた。
「駅からはどれくらいでしょうか?」
 黒Tシャツにモヒカンの男が尋ねた。
「近くには、なんとコンビニがありますよ。
 ローソンの隣にローソン。その前にはローソンがあります」

「ちょっとあんたたち! 人の家に勝手に上がり込んでなんですか!」
 とお婆さんは、うちわで扇ぐ手を止めて、たまらず抗議の声を上げた。
 その時、猫は、本棚の上に上がり高見の見物を始めた。
 けれども、見知らぬ人たちは猫とお婆さんの世界を完全に無視して話をス進めるのであった。

「うさぎの森は近くにありますか?」
 モヒカンは、窓の横の色あせた壁を撫でながら尋ねた。
「地下には核シェルターがあり、屋根裏にはタイムマシンを完備。
 壁に耳あり、その向こうには隠し部屋あり、その向こうには図書館もあり……」
「ちょっとちょっと、お兄さん!」
 お婆さんからすれば、男は確かにお兄さんに匹敵する風貌だったし、もう一方の男などはお兄さんを通り越して、お兄ちゃん、兄ちゃん、あるいは、そこのお若いのと呼べるほどであった。そして、お婆さんは、誰がどう見てもお婆さんらしい。



ちがう人がやってきた
ざわざわと私の中で
何かがさわぐ

あいつは誰だ
私は何だ

ちがう人々の中で
私は私を見つけ出す

ちがう人がやってきて
どんどんと私の中に
入ってくる

あいつは誰だ
私は何だ

ちがう人々の中で
私は私を思い出す

ちがう人が押し寄せて
交わりやがて混じり合う

私は私を見失う




「どうぞ。粗茶ですが」
 お婆さんは、見知らぬ客人二人に、お茶とお煎餅を出すと、よっこらっしょっと座った。
「ちょっと、そちらのお兄さん。
 さっきから聞いていると、どうもあることないこと言われているようですが」
 お婆さんは、礼を尽くして忠告すると、うちわを一振りした。風は、本棚の上でまどろみ猫の元まで届き、その耳を微かに震わせた。けれども、見知らぬ二人に、お婆さんの言葉はまるで届いていないようだった。



土足で踏み込んだ
見知らぬ訪問者たち

それでも私は
心を込めて
おもてなし

届かぬか
届かぬか
そちには

粗茶は




「近くにマクドナルドはありますか?」
モヒカンの問いかけに、猫は小さく首を振った。
「千里向こうに、美術館があります。その向こうに遊園地、その隣に動物園、その隣に遊園地、その隣に動物園、その隣に遊園地、その隣に動物園、その隣に遊園地、そのまた隣に動物園、真隣に遊園地、隣に動物園、隣を見れば遊園地、隣を見れば動物園、その隣には遊園地、時々トトロ、その隣には動物園」

「近くのことを訊いてるの!」
 お婆さんのうちわが、男の頭を叩くと、自動再生のスイッチが切れた。



あなたの隣に
私はいるよ

どこに動いても
どこで遊んでも

あなたの隣に
私はいるよ




 見知らぬ人たちは、お茶にもお煎餅にも手をつけなかった。



誰のものかわからない
宝物を私はひとり
遠くで眺めていた

私は問うこともできず
時間だけが流れた

今でもそれは
あるのだろうか

誰のものかわからない
宝物をいつもいつも
遠くで眺めていた

近寄ることさえできず
時間だけが流れた

今でもそれは
あるのだろうか

誰のものかわからない
宝物が輝いて見えた

本当はそれを
私のものにしたかった




「遅くなりました」
 新たな訪問者が、お婆さんの家にやってきた。
「お届けものです。印鑑を頂けますでしょうか?」
 けれども、お婆さんは真冬の女神像のように固まって動かなかった。
 代わりに、猫が降りてきて手を差し出した。



いちばん大事なものは
いつも誰かが持っていく

夏の扉から
手の届かない
ずっと向こう側へ

歌ううさぎと夢の双眼鏡は
逃げ去ってしまいました

いちばん大事な友達は
いつもどこかへ消えていく

草原の引き出しから
追いつくことのできない
ずっとずっと向こう側へ

踊る小人と手作りの魔法は
逃げ去ってしまいました

はじめの夏
取り戻すことも
できない透明な空で

マミーちゃんと

さよならした




「どうして今頃?」
 お婆さんは、マミーちゃんを抱きしめながら泣いていた。
 届けたい、届けたい、届けたい……
 届けたい、届けたい、届けたい……
 泣きながら、つぶやきながら、天井裏に駆け上がった。猫も後を追った。

「しっかり捕まっておいで!」
 タイムマシンにまたがると、猫にそう言った。



あなたが失ったものたちを
私はずっと忘れない

私はもうひとりの
あなただから

だからもう一度
届けてあげる




 猫とお婆さんが旅立ってしまった後、見知らぬ訪問者たちは、初めてお茶に手をつけた。それからおもむろにお煎餅に手を伸ばした。
 二人は、会話を交わすことなく、穴の空いた天井を見上げていた。その向こうに、巨大な月が見えた。






テーマ : 詩・唄・詞
ジャンル : 小説・文学

一期一会

みんなが阿呆に見えた。
突然立ち止まり、空を見上げる人。
空に呼び止められたように、振り返る人。
白い雲にすっぽりと覆われた地上のものは、みんなが阿呆に見えた。

「ちょうど今くらいの時間だよ」
少年は、立ち止まって言った。
「私は、もう見られないのよ。
今日、見ておかなければ」
お婆さんは、浮かない顔で少年を見た。
使い終わったサランラップの筒の先に小さく穴を開けた銀紙を輪ゴムで止めたものを、お婆さんは右手に握り締めていた。
「40年前に、一度見たのよ。
でも、その時にはこんなものはなかったの。
その頃には、何も知らなかったの」
偶然その場にいたというだけの少年と、お婆さんは奇跡が現れるはずの空を見上げた。
けれども、そこにあるのはただ白いというだけの雲、あるいは空にすぎなかった。

「どっちの方かな?」
お婆さんは、あっちだよと白い彼方を指差した。
雨天中止。
雲が流れていくように、かなしい言葉が、少年の脳裏をよぎった。



大きな空の下で
私たちは小さく
二人だった

一度だけ触れた
微笑みの記憶を
微かな手掛かりに

やっぱりあなたは
帰ってきたの

いつまでも白いまま
私たちはぼんやりと
二人だった

あったかもしれない
微笑みの欠片を
微かに頼って

やっぱり私は
待っていたの

落ちてきそうな空の下
私たちは小さく
二人だった

一度きりの雲と
私たちは小さく
二人だった




その時、突然二人の頭上で雲が割れ始めたのだった。
それは、お婆さんが指差した方角とはまるで違っていた。
けれども、二人はほぼ同時に声を上げた。
雲の切れ目から、それは遠い約束を思い出したようにやってきて、その光は小さく頼りないものではあったけれど、地上で待ちわびるものに対して、その存在を照らし示していた。そして、そのかたまりの一部は、一人分のケーキをカットしたように見事に欠けていたのだった。

「お婆さん、それを」
少年は、お婆さんの右手にあるそれを使うように促したが、お婆さんはそれを聞き入れなかった。
「ああ…… みれてよかった」
とても幸せそうに、お婆さんは微笑み、小さなため息さえ漏らしたようだった。
少年は、お婆さんの右手からそれを奪い取ろうと手を伸ばしたが、すっかり満足しきったお婆さんが手を引っ込めてしまったため、ついにそれは叶わなかった。
そうしている間に、時は早くも空を白く塗り戻してしまった。

「よかったね」
何よりもお婆さんの一日に対して、少年は言った。
お婆さんと別れた後、少年の歩く空は限りなく果てしなく白く、そのせいで少年はほんの少し前に起きた出来事が全部幻だったような気がした。


猫は、空から落ちてきたケーキを食い尽くした後で、空を見上げていた。

その横顔は、空にアンコールを繰り返す熱狂的な地上人のようだった。

いつになく背筋が伸びた猫だった。



テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

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junsora(望光憂輔)

Author:junsora(望光憂輔)

おかしな比喩を探し求める内に
いつしか詩を書きはじめました
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「喜多さん、いいとこばっかじゃねえか」

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『ウィキペディア』












































 

「行き先のないバスに乗って
 あてのない旅をしています」

「僕たちは心の旅をまだ
 始めたばかりなんです」



「この場所は自由な場所。
 本当に自由すぎる」
「でもまだ足りないんです」





「春の足音を、
 しばらく前に、聞きました。
 私はもうとけてゆきます」
「大いなる誤解が
 とけていく速度で…」






『落書き』

偶然たどり着いたこの場所
あなたは何を探していたのです

求めるものと目の前にあるもの
それはどれほど違っていても
みかんの色は変わるのです

あなたという存在が
あなたを囲む海や人や森が
歌い励まし騙し傷つける頃
空想の世界の中で
生まれ変わるならば
いつかそれは
求めるものと同じであったか
近づいていくこともあるのでしょう

偶然目に触れた落書きに
こんなことが書いてあるとは
思わなかったでしょう
だからそれを望んで
これを書いたのです

少し時間を
無駄にさせてしまったね






『空白の壁ときみ』

壁が空いているから
ここを詩で埋めようかな

何も書くことはないけれど
何もない時だって
詩を書いていいんだよ

何もなくても
聴きたいときがある
きみの声を

点滅するバスは
行き先を決めかねているけど
もう詩は出発したよ

年中融けない雪だるまが
上で見てるんだ
これでまた融けにくくなった

壁が空いているから
サンドイッチのない詩を
猫に内緒で書いてる

見つかると嫉妬するからね

寝静まった頃静かに書いて
きみもやっぱり静かに読む

見知らぬきみ
またここで落ち合おう

きみの空いてる時間にね






『そんな横顔』

獣のような 大声で
どこかで 叫んだケダモノ
気高さを保ったまま
毛玉を嫌う ケダモノ
そんな生き物が いるのだろうか

僕らは 
不思議な生き物を見るような目で
不思議な生き物を眺めるんだ

1000年前から生きてるみたいに
落ち着いて 慌てない
何でも知ってるような
そんな横顔で
質問には 答えることもない

それでも 僕らは
昨日生まれた ばかりのような
そんな横顔 してたんだから
不思議な生き物 眺めるような
そんな横顔 してたんだから






『片隅』

ノートの片隅に
詩を書いている
誰に見せる
あてもない

頭の片隅に
詩を留めている
未だ現れる
気配はない

カフェの片隅で
詩を書いている
誰に会う
約束もない

世界の片隅で
詩と向き合っている
そうしていると
寂しくもない






『できそこない道』

完成することのない
できそこない道を
僕は歩いている

進んでいるのか
戻っているのか
それさえわからない

それでもかえれない
できそこない道を
僕は歩いている

つまずくことばかり
挫けることばかり
たどりつくこともない

どこにもかえれない
できそこない道を
僕は歩いている






『なきうた』

理由もなく
泣きたくなるのです

二月が終わる頃になると
遥かなる距離を越えて
オレンジの光が
届いたのを知った時

理由もなく
泣きたくなるのです

小さな息吹が
青白い風の中に
溶け込む匂いを知った時

私は生まれるよりも
遥か前のことを
思い出しながら

理由もなく涙を流し
歌わねばならない
という理由において
歌うのです

遠い過去の人である
私の声が
あなたの元へ届く日を
想像したりしながら
























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